鶴一屋のうどん考

金沢のうどんについて。

世の中には様々な麺があります。小麦と塩水を練りこんで作った、うどん、ひやむぎ、そうめん。そば粉を主体とし小麦粉やいろいろなつなぎを練りこんだそば、ラーメンやパスタ等もあり一般的にお米と並び日本人にはなくてはならない主食となっております。
麺類の名称を語るとき、必ずと言っていいほど地方名などの産地がアタマにくる名称が多いです。例えばうどんで言えば、「讃岐うどん」、「稲庭うどん」、「水沢うどん」「五島うどん」等々、そうめんなら「三輪そうめん」「揖保乃糸」等々。そばについても「信州そば」しかり。お米の「コシヒカリ」とか「ササニシキ」などの品種名が多いのに比べ麺の場合は地方名等が盛り込まれている製品が多いのはなぜでしょうか?
これは製品として完成するまでの製造工程の大きな違いがあるからだと思います。
お米はご存じのようにその品種の苗を春に植え、栽培して秋の収穫して玄米を取り出し精米してお米の状態にします。多くの生産工程は農作業の工程が多数を占めています。ところが麺の場合は栽培された原料、小麦粉やそば粉等これらを粉末に加工して粉とし、それから人の手によって塩水に練りこみ捏ねたり延ばしたりしてうどんやそうめんの形に仕上げます。お米の農作業が主体に比べ職人的労力が主体で技術を必要とされるシーンが多いのです。したがって、その製法にともない形状や色味などもその地域や地方によってバラエティーにとんでます。コシの強いうどんもあれば、故意的にコシが弱くツユに特徴を持たせたもの、また、太さ自体が様々でうどん一つにしても極太のうどんもあれば、稲庭うどんのように規格としてはひやむぎに近い太さのものもあります。また、手打のみで製造したうどんは包丁切の為、角がしっかりあるもの、それに対して熟成を重ねて刃物を用いず一本一本を長く細く延ばした「手延べ製法」だと角が少なく丸みのある麺の形状となります。それらの作り上げるまでのその地域、地方で根付いた製法が今日の名産品の麺となった由来、地方名を麺の名称に付けて呼ぶ事があるのかと思います。そこには伝統的な製法やその地域固有の気象状況なども関連して麺類の場合は同じ主食であるお米に比べ多種類の製品がある理由かもしれません。
北陸の場合はどうでしょうか。石川県はその昔、江戸時代より能登輪島またその周辺で手延べ素麺づくりが盛んだったといわれております。現在ではこの地域では生産が行われておりませんが、そうめんを作った時の製品にならない端っこをせんべいに混ぜて塩せんべいを開発されそれが現在でも伝承されており、麺づくりがあった名残があります。また、それらの地域から富山県の氷見や砺波に麺づくりが継承されたのが「氷見うどん」や「大門そうめん」とも言われております。昔の人々が育まれたモノづくりの歴史がいろいろな形となって今日にまで存在しております。

ただ、金沢では有名なうどん店が沢山ありますが、金沢うどんとか、いしかわうどんとか呼ばれることが少ないようです。麺自体のコシの強さなどを追及した感じではなく、金沢の場合は柔らかいうどんを、特徴のあるダシを用いた、どちらかといえば関西風のつゆ文化だと思っております。温かいうどんの場合は薄口しょうゆを使用し、お椀の底まで見えるきれいな透明なきつね色のつゆが特長で麺のコシのつよさとかあまり言いません。上品で口当たりの良いつゆが主役であるうどん文化だと日頃より感じております。

ただ、インターネットの普及や遠距離の旅行が当たり前となった最近では、地方の麺についても様々な改良や新しい食文化が生まれてきているようです。
今までの歴史的な背景のみで製品をつくりあげるのではなく、いろいろな原料を使用し新しい製法を生み出しチャレンジする。そのような気風が出てきているように感じます。特にラーメンについてはこの点、改良や新ジャンルが多く存在し、また利用する年齢層がうどんそばに比べ若い方々からの指示を圧倒的に集めて、日々目まぐるしく新規参入が多く感じます。富山のブラックラーメンに代表されるように様々なだしをつかって特徴を出したスープの多様性、麺の形状、食べ方のいろいろなパターン。まさにジェットコースターに乗ったような展開で食べる側を飽きさせない目まぐるしい情報を提供しています。ただ、ラーメンの場合はそのお店で食べるという冠が必須で、乾麺や生めんなどのを使ってお家で食べることもできるうどんそばとは方式が大きく異なっているようです。やはりその有名店で行列に何時間も並び汗をかいて食べることが出来た実績づくりもラーメンファンにとっては味以外の楽しみや思い出になる独特な文化が存在すると感じております。また、それらの店舗数が全国に沢山あるため、その長いラーメンを探求する旅のような面白さも、これはもしかしたらうどん、そばにはあまりないものかもしれません。また、ラーメンを支持する層も若者から年配の方までうどん、そばに比べかなり多くの支持層があるかもしれません。この数は実態がなくあくまで私の主観ですが。

 

濃口醤油、薄口醤油

先程、金沢のうどんのつゆについて述べましたが、金沢のうどんつゆは関西風で薄口醤油特有の器の底まできれいに見えるうどんつゆがスタンダードと書きましたが、不思議なことに北陸三県および富山の県境を越えて新潟県も通常使用する醤油は“濃口醤油”が主流だそうです。金沢の名産大野醤油も甘めが特長の濃口醤油。しかしながら何故、うどんつゆに関しては薄口醤油なんでしょうか?これはあくまで私の推察ですが、加賀藩の時代に前田の殿様が現在の愛知県から石川県金沢に配置され加賀藩を築きました。その時に一緒に街を築くために沢山の職人や商人が石川県に移転したと考えられます。近江商人は現在の近江町、尾張の方は尾張町とその由来の町名が今もあります。金沢の薄口醤油で作られたうどんつゆ文化はきっとこの関西方面も含めた人の移動によって出来上がった味ではないでしょうか。あくまで私の勝手な推察ですが。その時代にうどんつゆの味が確立されたのではないかと。また通常の料理の味付けは濃口醤油で、麺類は薄口醤油で区別された習慣があったのではないかと…。

とにかくうどんつゆを主体とした金沢のうどんですが、本来主役であるうどん自体はなぜか昔からの実態が判りづらいのです。どちらかといえば機械づくりの麺が中心で、一般的な玉うどんが日常的に使われています。コシがしっかりとした食べ応えのあるうどんよりも、食べやすい機械づくりの麺を使い、あっさりとした上品なうどんつゆでササっとすすって食べる習慣が一般的だったのでしょう。近年、流通が盛んとなり、いろんな麺類を体験できる時代となりました。金沢の特徴的なうどんつゆの味を生かして、手打手延べ製法で作られた私の作る乾麺や半生麺をうまくそのうどんつゆにマッチさせ、新しい金沢のうどんの味を作り上げたいと思っております。